2023/07/07

#Twitterとの思い出

これは Twitter 老害会原理主義過激派の懐古。なにぶん13年間の記憶を思い出しながらになるから、細かい事実関係や時系列には誤りがあるかもしれない。親戚の老人が「若い頃はのう……」と零すようなものであり、あまりあてになる話ではない。

ちまちまと書いていたら、この記事1つ書くのに4か月もかかった。そして3,000字程度で済ませるつもりが1万字になった。話が長いところまで、まさしく老人の語りである。

初めて Twitter に触れてからの13年の間、人と対面で話した時間よりも、ツイートを読んだり書いたりしていた時間のほうが明らかに長い。そりゃ簡単には割り切れない気持ちもある。

Twitterとの思い出

私が最初の Twitter アカウントをつくったのは、2010年頭。

それまでも存在は耳にしつつ、「ブログですら書くことに困っているのに Twitter に何を書くんだ」なんて思っていた。それが登録に至った理由は、正月の暇つぶし程度の軽いノリだった。

すでに Twitter は流行り始めていたけど、まだ「みんながみんなアカウントを持っている」域までは達していなかった時期だと思う。

メディアによる「ツイッタードラマ」なんて触れ込みもあった TV ドラマ『素直になれなくて』の放送開始が2010年4月で、「Twitter の名前を使っているだけで Twitter とは別物じゃん」とか「こんなの Twitter じゃない」みたいなツイートがタイムラインを流れていた。まだ目新しい存在だった Twitter に対して、ワイドショーやらが一部しか切り取っていなかったり勘違いしていたりな内容を流していた。市井で「え、Twitter やってるんですかw アレですよね、なうって言うんですよねw」みたいに揶揄された記憶が薄っすらとある。

著名人が Twitter を始めると、それだけで Twitter ユーザーからその人への好感度が少し上がる、みたいな空気感があった。いまほど市民権を得ていなかったからこその、「こっち側」に来てくれたみたいな空気感だったと思う。

当時の Twitter サイドは「Twitter は SNS ではない」と言っていて[1][2]、「それはちょっと無理がある主張なんじゃないかなぁ」なんて心の中で思いつつ、でも私は Twitter のそういうところが好きだった。ひねくれ者の私に、斜めな態度の Twitter はよく合っていた。

フォローしたくなる相手を探すのがいまよりずっと簡単だった。好きなアーティストの名前で検索したり、気が合う人がやり取りしている人を見たりすれば簡単に見つかった。それは母数が小さいからであり、「いまの時点で Twitter をやっている」だけでもうある程度自分に近い人間だったからなんだと思う。体感として、同じものを好きでそれについて日常的に投稿している日本語使用者の存在は9割くらい把握できていたような規模感だった気がする。

いまとなっては裾野が広すぎて、軽い共通点では溢れるほどにユーザーが出てくる。その中には多種多様な人がいて、気が合いそうな人を探し出すのは難しい。「干し草の中から」とか「砂漠の中で」みたいな気分だ。新たにフォローするのが公式系のアカウントばかりになってからどれほど経つだろう。かつては毎日のようにやっていた、Twitter 上で新しく個の人間を認識するあの流れを、いつからかまるでやらなくなっていた。

始める前は「何を書くんだよ」なんて思っていたのに、気がつけばずっと張り付いていた。「おはよう」から「おやすみ」まで、140字も必要ないような内容のないどうでもいい超短文を投げ続け、日常を垂れ流し、フォロワーとふざけ続けた。1日500ツイートとかザラだった。何をそんなにツイートすることがあったんだろう。

一気にツイートしすぎるとしばらくできなくなるリミットがあり[3]、規制時用サブアカウントをわざわざ用意している人が何人もいた。私は規制されるほどにツイートはしなかったが、お気に入り/Favorite (現在のいいね/Like) をするのが大好きだったせいで、お気に入りできなくなる規制に数回引っかかった。起床と同時に寝ている間のタイムラインをふぁぼりながら現れるものだから、まだ何もツイートしていないのに「ダッシュさんおはよう」なんて空中リプライをされていた。

お前みたいなやつが Twitter に負担を掛けてきたんだろうと言われれば否定はできないが、当時は有料プランがなかった。金を払わせてくれってずっと思っていたよ。まだそれなりの頻度で落ちていた Twitter にクジラが出るたびに、みんなで「金払わせてくれ」と言っていた。あの頃の私たちはいまよりもっと Twitter が好きだったから、得られる特典がほぼ無のようなしょうもないものでもお金を落としたのに。

実際、愛用していたサードパーティクライアントにはお金を払っていたし、ニコニコ動画を見なくなってからも惰性で長いことプレミアム会員に入り続けていたようなのが私たちみたいな人間なんだ。あの頃の Twitter へお金を払えれば何かが違ったんだろうかって、いまの惨状を見ていると切実に思う。

当時Twitterの処理能力の限界を超えると表示されていたクジラの画像
当時処理能力の限界を超えると表示されていたクジラ。Twitter、ニコ生 「バルス」に耐える - ねとらぼ より

私はよくライブに行っていたから、「オフ会」みたいな能動的な初対面ではなく、「え、今日同じ会場いるの?」という特に構えていない自然な流れでフォロワーとよく会った。そこから仲良くなった人たちが10年来の友人になった。学校や会社で人付き合いを避けてきた私にとって友人は Twitter 由来のみんなだけだった。

「食事は誰と食べるか」という話を実感したのはあの頃だった。気が合う人と楽しく食べるとこんなにおいしいんだと思った。なんでもないチェーン店のなんでもない定食だったけど、あれを超えるほど染みる食事を私はいまだ知らない。どんなに高い食事よりも、あの食事だけが一番忘れられない体験だった。誕生日ケーキをサプライズで出してくるなんてことをしてくれたのも、後にも先にもあの人たちだけだった。

Twitter を続けているうちに言及したいことが多くなり、使いかたに迷うようになった。「このアカウントでこの話をすべきなのか」「このアカウントとこのアカウントは統一していいんじゃないか」とかグルグル考えて、アカウントを増やしたり減らしたり増やしたり減らしたりした。当時のフォロワーは次々変わるアカウントに困惑したことだろう。

そんなことをしていたら Twitter の使いかたがよくわからなくなっていき、そのうち仕事が非常に忙しくなった。雑な言いかたをするならば、仕事にかまけて Twitter をちゃんとやっていなかった。人と会う機会も足が遠くなり、「Twitter の向こう側にいる人間」との距離が遠のき始めた。使いかたがさらによくわからなくなっていった。

使いかたがわからなくなった果てに、すべてを1つのアカウントに統合した。これが結果として非常によろしくなかった。マジでよくない。

あらゆる仕事の名義と人格も、あらゆる趣味の名義と人格も、すべてを1つのアカウントに突っ込んだということである。当時本名名義の仕事とハンドルネーム名義の仕事があって、それについて別々に扱うのを面倒に思っていた。だからぜんぶ一緒でいいやと思ったのだが、ぜんぜんよくない。

なにがよくないって、Twitter で感情の発露がまるでできなくなっていった。ちょっとした愚痴も言いづらいし、繁忙期にちょっと息抜きでやったゲームの感想とかも言いづらい。

仕事がまったく関係ない私生活でイラついたり落ち込んだりすることがあっても、「これあの仕事のことかな」とか「これ○○さんのことじゃない?」とか邪推されるんじゃないかと怖くて何も言えなくなった。自分のイメージが下がるだけならいいけど、お世話になっている他人へ巻き込み事故するのは避けたかった。

誤解されないようにめちゃくちゃ細かく経緯を仔細までしっかりぜんぶ生々しく書いて愚痴ればいいじゃんと思うかもしれないけど、めちゃくちゃ細かく経緯を仔細までしっかりぜんぶ生々しく書いて愚痴りたいわけじゃなくない? 漠然と「うわ~~~!」って言いたかっただけなんだよな。いまとなってはもうそういう欲求もなくなっちゃったけどさ。

自然な喜怒哀楽をあまり出さなくなっていって、超短文でふざけることもなくなっていって、Twitter の使いかたがさらによくわからなくなっていった。いつからか「1ツイート完結で完成しているツイート」みたいなものを無意識に志向していた。見るものも「人間」というより「情報」という感じになっていった。

元来「いまどうしてる?」との問いに答えて投稿するサービスであることを思えば、だいぶ逸脱したものだ。そんな形を数年続けてその傾向がどんどん強まった成れの果てが、いまの私のアカウントだ。

Twitterクライアントとの思い出

Twitter を始めた頃、私はまだガラケー持ちだった。ガラケーからずっと使い続けているサービスなんてなかなかない。そう考えてみると、経った時間の長さに驚く。

ガラケーから Twitter 公式を使うのは快適とは言いがたかったから、まず最初に使ったサードパーティクライアントが「モバツイ」だったかな。割とすぐに「Movatter」に移った気がする。しばらく使い続けて、「yubitter」の評判を見かけて試したらすごく快適で使うようになった。どう快適だったかはもう覚えてないけど、痒い所に手が届くような感覚だった記憶だ。

タイムラインの更新に割り当てられたショートカットキーを延々とポチポチ押して更新しては読み、更新しては読みを繰り返していた。小さい画面でよくやったものだ。

Androidに移って選んだのは「twicca」。非常に使いやすい名作だった。必要な機能がちゃんとあり、あったら便利なプラス機能があり、それらがシンプルの中に納まっていた。その納まり具合が美しかった。

カラーラベルって機能があって、アカウントを色で分類できるやつでね。「必ず読みたいアカウントは赤」「このジャンルを好きな人は緑」とかで分けた。すると出先で見るときにすごく楽だった。パーッと流し見して「お、赤いツイートがあるな」って止めてちゃんと読む、とか。スマートフォンの画面サイズで複数カラムを流すのは無謀だから、カラーラベルは非常に有用だった。

twiccaのホーム画面
twicca - Google Play のアプリ より

PCのクライアントでまず選んだのは「Saezuri」。まだ小さい1つのモニタを使っていたから、Saezuri くらいの横幅がちょうどよかった。画面の左端に常駐させていた。

クライアントの多くにはタイムラインを自動で定期的に取得して流してくれる機能があったんだけど、途中から Twitter API に「User Streams API」というスーパー画期的なものが導入された。Saezuri もこれに対応した。

非常にいい体験で感動したものだ。いまでは TweetDeck[4]でのみ見られる挙動だが、当時はほぼリアルタイムな「流れるタイムライン」を一般のサードパーティクライアントが実装できた。いい時代だった。

複数モニタを使うようになると「Janetter」を使い始めた。同じく User Streams API に対応していた Janetter は多機能で設定項目が細かく拡張性が高かった。中身の JavaScript を自分でいじったりもした。印象深いのはユーザー作成のテーマやプラグインを読み込めるようになっていたところだ。カラーラベル機能を追加するものなどいろんなプラグインが作られていて、大変お世話になった。

この頃提供されていた API は本当に自由だった。多種多様なサードパーティアプリが展開されていた。そこが Twitter の好きなところでもあった。

こっそり投稿したりタイムラインを見たりできる「ラーメン大陸」。Google Chrome のアドレスバーからツイートできる拡張機能「さらそば岬」。某大手検索サイト風の見た目で偽装する「BossKitter」なんてものまであった。私は外出時用ノート PC からは「Silver Bird」という拡張機能をよく使っていた。

ラーメン大陸でタイムラインを表示した状態の画面
【レビュー】極少かつ半透明なウィンドウからTwitterに投稿できる「ラーメン大陸」 - 窓の杜 より
BossKitterの画面
上司が来ても大丈夫 Google風の画面でTwitterができる「BossKitter」 - ねとらぼ より

そんな環境も永遠には続かず、Twitter によるサードパーティへの締め付けが始まった。2012年にツイートの表示スタイルが制限され、アプリごとのユーザー数の上限は10万人までに制限[5]。2018年には User Streams API が廃止された[6][7]。User Streams API のなくなった Twitter を触りながら、「ハイボールのウイスキー抜きみたいだな」なんて思ったものだ。Twitter 側の事情を理解できる部分もあったけど、悲しいものだった。

なかなか粘った Janetter も度重なる締め付けでまともに動かなくなってしまった。それからは Twitter が買収して公式となっていた「TweetDeck」を使うようになった。

そんな私の使っていた TweetDeck もいまや「旧 TweetDeck」であり、その旧 TweetDeck はイーロン・マスク体制下で廃された。ついこの前のことだ。「新 TweetDeck」は存在するのだが、どうやらこれもあと30日後には Twitter Blue 限定となっているらしい[8][9]

思えば Janetter 使用期と TweetDeck 使用期、合わせて10年間以上、「6カラム並べたTwitter クライアントを一番左のモニタに常に置き、タイムラインとリストを流して眺める」日々を続けてきたことになる。これからは左のモニタが寂しくなる。

私の旧 TweetDeck の使用状態。拡張機能「Tweeten」を入れ、ユーザー CSS も書いていろいろいじっていた。廃止によりすでにリストが読み込めなくなっていたので、ホームを複数並べてそれっぽく撮るしかなかった。

私が Twitter を始めた頃、リツイート機能はなく、いいね (当時はお気に入り) 数はわからず、画像は投稿できず表示もされず、URL は短縮されずに文字数を圧迫し、ミュートやワードミュートもできなかった。すべてサードパーティが実装し始め、後から Twitter に導入されたものだ。Twitter の青い鳥ロゴのきっかけとなったのも「tweet」という単語に新しい意味を持たせたのもサードパーティクライアント「Twitterrific」である、なんて話まであるらしい[10][11][12]

Twitter はサードパーティと共に歩んできたのだ。共存の道を探ってくれなかったことが悲しい。Twitter がサードパーティ開発者との関係を強引に破壊する前であれば、きちんと意図を説明した常識的な要求であれば、Twitter を愛していた開発者たちは協力したはずだ。わざわざサードパーティクライアントを入れてまで見るほど Twitter が好きだったユーザーたちも協力したはずだ。

2015年当時のジャック・ドーシー CEO は「当社とアプリ開発者との関係はいつの間にか少し複雑になってしまった。この関係をリセットし、常に学ぶ姿勢を忘れずに、人々の意見に耳を傾け、気持ちを新たに再スタートしたい」と語った[13]が、Twitter がこの言葉通りの動きを取る日は来なかった。

イーロン・マスク体制下になってからは御承知の通り、サードパーティクライアントの存在自体が突然の後出しで禁止され[14]、クライアント以外のアプリについても非常に厳しい API に移行された[15]。サードパーティアプリはまるで泥棒であるかのような扱いを受けながら根絶やしにされた。とても残念なことだ。

お金を払えば新 TweetDeck を使えるが、いまの Twitter にお金を払いたいとはどうしても思えない。かつて認証済みバッジだったものの残骸である青いチェックマークが自分のアカウントに押し付けられる事象にも耐えられない。もしも Twitter Blue に「過去の Twitter 社に対して送金できる時間超越機能」をつけてくれるのならば、よろこんで加入しよう。

私にとっての Twitter は長らく、能動的に見に行くものではなく、視線を少し左に動かすと流れているものだった。私の中の Twitter はここで終わりだ。

Twitterは高尚な場所じゃない

イーロン・マスクの言動の矛盾なんかへのツッコミは既に数多の人がやっているだろうし、そこに言及し始めると延々と広がってしまう。ここでは1つの観点についてのみ書きたい。

買収検討が報道され始めたとき、私はイーロン・マスクについて「どっかのすごくお金持ちな人」くらいにしか知らなかった。「たしかに幕府へ不満はあるけど、クビライ・カーンとかいうよく知らない人に支配されるのは不安だな」とツイートするか迷って、やめた。よく知らない人についてこういうこと言うのもよくないかなと思ったからだ。

その後イーロン・マスクは理由をつけて一度買収を拒否し、当時の Twitter サイドは契約違反として訴訟してまで買わせようとした。「やっぱお前たちの会社いらないわ」と言い出した人に無理やり買わせる構図に、そんな人が Twitter を大切にしてくれるんだろうかと不安が膨らんだ。

漠然と不安を感じているだけだった中で、「あ、これダメかも」という気持ちに傾いたのは買収完了後の以下のツイートを見たときだ。

「Twitter は世界に関する最も正確な情報源になる必要がある。それが私たちの使命だ。」

それが使命ではない、この人は私の好きな Twitter を保ってくれないだろうと思った。イーロン・マスクは「Twitter は人類の未来に不可欠な問題が議論されるデジタルタウンスクエアだ」と発言し[16]、いつからか Twitter は「インターネットのタウンスクエア」を名乗るようになった[17][18]。しかし少なくとも、私の知る Twitter はそんな高尚な場所ではない。

ごく普通の人々の、何も特別ではなく、特に重要でも有用でもない、なんてこともない日常の「つぶやき」を眺める場所だった。それが窓を開けて空気を取り込んでいるような気分になって、私は好きだった。

そもそも Twitter の設計は「正確な情報源」にあまりにも向いていない。ツイート単体では情報の正確性を担保できない。ツイートに含まれる情報が正確かどうか判断できるのは、そのツイートに添付されたリンクや投稿者が何者かなどの外部の情報だ。ツイートのソースを確認すべきであり、ツイート自身をソースにすべきではない。ツイート単体が情報源となれるのは「私の好きな食べものは○○!」のような投稿者自身に属するお話だけだ。

Twitter の設計は議論には向いていない。インターネット上で文字で議論するのは非常に難しい。感情的になっていないか、読んだ立場がどう捉えるか、何度も読み返す。どんな反論が来そうか想定し、ツッコミが来ないよう書き直すか、あえて話を広げる余地を残すかなんてことをよく検討する。そうしてじっくり考えてから投稿して、ようやく辛うじて建設的にいきやすくなるほどの難易度だと思っている。

Twitter は「いまどうしてる?」との問いが書かれている入力欄に対して、いまそのときの気持ちを書いて短文を気軽に投稿するサービスだ。ツイートの投稿欄は Web App において最上部のど真ん中という一等地にある。これは気軽に投稿させる設計である。

しかし、正確な情報や議論が目的ならこの設計はあまりにも向いていない。まず「いまどうしてる?」と聞くのをやめよう。ツイートの投稿欄はもっと深い階層までしまい、投稿に至るまでに手間がかかるようにすべきだ。「ツイートする」ボタンも最初からは出さず、必ず一度「プレビュー」ボタンを押さなくてはいけない流れにし、その結果を確認しないと投稿できないようにしよう。そうすればあなたたちが目指すものに近くなるだろう。

タウンスクエアな目的が語られ始めたとき「140字を過信しすぎ」と思ったが、その目的を基準に見ればという一点のみにおいては、後に Twitter Blue の特典で1万字書けるようにした施策は理にかなっている。

でももうそんなものは Twitter ではない。1万字の正確な情報をしっかりプレビューしてから慎重に投稿し、人類の未来に不可欠な問題を議論するタウンスクエア、Twitter。それは私の知っている Twitter ではない。

Twitterが現実になってしまった

ある日、つぶやかない - by youkoseki - #たよりない話 という記事を読んだ。

なんとなく感じていたことが「Twitter が怒りのプラットフォームになってしまった」と言語化されていた。概ねその通りだなぁと思った。私もいつからか「怒り」の投稿ばかりしていた。

昔も怒っている人自体はいた。そのときの怒りの対象はその人の上司であったり家族であったり、「Twitter の外」にいる人間だった。怒りの対象と同じ属性を持つ人間も Twitter に存在したのかもしれないが、公式にリツイート機能がなかったし[19]、裾野の広さもいまほどではなかったあの頃、怒りがその対象の人間たちのところまで届くようなことは稀だった。届かなければ、ぶつかって大乱闘になることもない。

リツイートのおかげで出会えた素敵なツイートもたくさんある。リツイートによって生まれた怒りや増幅された怒りも無視できないほどにある。これが語られる「リツイート機能の功罪」というやつだろう[20][21]

いまの Twitter で怒りを避けることは困難だ。怒りは強いエネルギーを持つ。つい拡散したり言及したりしたくなってしまう。だからリツイート数が伸び、トレンドに入り、おすすめされるようになる。Twitter サイドだって別に怒りを伸ばしたかったわけではないだろう。ユーザーの反応が高まって活発になるようにチューニングしたら、自然と怒りが伸びてしまうのだろう。

「これ面白いな! これを同じく楽しんでいる人の感想が見てみたい!」と思って検索すれば、それに対してなぜか怒っている人のツイートが出てくる。話題になっているツイートを開き、うっかりリプライ欄を見てしまえば的外れなコメントが並んでいるだろう。引用ツイート一覧なんて開いてしまった日には目も当てられない。

怒りに触れないことが不可能だとは言わない。ブラウザ拡張機能、ユーザー CSS、ユーザースクリプトを駆使し、いろいろなものを非表示にしたり調整したりすればいい。うっかり見知らぬ他人の反応が視界に入らないように常に心がけて使えばいい。でもそんな工夫をしてまで使うサービスは楽しいのだろうか。そんなことをしてまで使いたいだろうか。

Twitter Web App の標準状態とユーザー CSS を適用した状態を比較するスクリーンショット
Twitter Web App の標準状態と、ユーザー CSS を書いて平和を目指してみた状態の比較

あの頃、私は現実がつらくて、Twitter は現実から逃れて楽しく遊べる場所だった。きっと私だけじゃない。そういう人がたくさんいたと思う。

Twitter には人が増えた。それによって便利になった部分も、楽しくなった部分もある。しかし、現実に存在するありとあらゆる人間が Twitter にも存在するようになったことで、Twitter が現実になってしまった。Twitter はもう逃げ込める先ではない。

自分の人生を生きるだけでは関わらなかったであろう人間の姿が Twitter を介して見えるようになり、わかるようになったのは人間はわかり合えないということだった。決してわかり合えない者同士が存在する。人々を繋げた Twitter が可視化したものは分断だった。その分断は想像よりも遥かに大きいと、Twitter は教えてくれた。

Twitterの次

買収後に Twitter がゴタゴタし出すと、慌てて移住先の候補を検討した。そうして検討しているうちに思い出した。以前から Twitter をやめるかずっと迷っていたんだった。そんなに迷うくらいだったのに、私は「Twitter 的なもの」をわざわざ新しく始めたいんだろうか。

Mastodon や Misskey のローカルタイムラインが活発なインスタンスを見たとき、「MMO のチャットが賑やかなギルドみたいだな」と思った。ギルド加入しないと達成できないクエストのために適当なところに入った瞬間、直前まで話していた様子の人たちが一斉に「ようこそ!」「よろ~!」とかチャットしてきたときの。あの「あ……、あ……!」って感情。あれを思い出した[22]

そもそも私って交流を望まない人間だったわと思い出した。

MMO で場違いなギルドに入る失敗を数度してから、「特典の受け取りのためだけに存在するみんな無言のギルド」みたいなところを慎重に探すようになった。自分と自分のサブキャラクターでひとりギルドを作成したことすらある。

ユーザーによるコメントが表示できるサービスでは、すべてを非表示にしていた。動画の上を流れるコメントで一世を風靡したニコニコ動画を一番見ていた時期でさえ、常にコメントを非表示にしていた。別にみんなの反応なんてどうでもよかった。私はそういう人間だった。

そんな人間があのとき Twitter にあんなにハマって、ここまで続けることになったのは、すべてのタイミングがよかったからだ。あのタイミングのメンタルだった私が、あのタイミングの Twitter 日本語圏の雰囲気の中で始めて、あのタイミングのフォロワーに出会った。何かひとつでもずれていたら、きっとハマれなかった。

Twitter じゃなければダメだった。あの体験に再現性はない。新しい Twitter 的なものを始めたとしても、あの頃のようになれるわけじゃない。Twitter も変わってしまったけれど、私も変わってしまったんだ。

いまから公園へ駆け出して缶蹴りを始めれば、子どもの頃の気分は味わえるかもしれないが、子どもの頃に戻れるわけじゃない。給食メニューを出す居酒屋に行けば、学生時代の気分は味わえるかもしれないが、学生時代に戻れるわけじゃない。新しく Twitter 的なものを始めて頑張ってワイワイしてみれば、あの頃の気分は味わえるかもしれないが、戻れるわけじゃないんだ。それがあの頃ごっこであるという気持ちを私は心の中から排除できず、きっと夢中になれないだろう[23]

Twitter は私にとって未知の体験だった。私みたいな人間がまた夢中になるには、まったくの新しい体験が必要なんじゃないか。写真投稿サービスに触れたことがない人にとっての Instagram、位置情報で遊んだことがない人にとっての Foursquare、音声で交流したことがない人にとっての Clubhouse、VR に触れたことがない人にとっての VRChat、のような。

インターネットを介してできる体験にあと何が残っているのか私には思いつかないが、私でも思いつくようなことはすでに頭のいい誰かがやっているだろう。いつかまた Twitter のように夢中になれるサービスに出会えたらいいなぁ。

Twitter はなんだかんだ終わらないだろう。「LBO で買収されたことによって Twitter が背負った借金[24][25][26]が払えなくて」みたいな経営要素由来で倒れる可能性がどれほどあるかは専門外の私にはわからないが、「ユーザーが少なくなって終わる」ような事態はまだまだ来ないだろう。

ユーザーの大半を構成しているのがライト層だからだ。Twitter の変化をキャッチアップできて騒いでいるのなんて全体から見ればごく一部の層でしかない。

ツイート閲覧数の制限について、Twitter は「この制限はプラットフォームを使用している人々のごく一部に影響を及ぼしており」[27]なんて声明を出した。現体制は明らかな後付けをすることがあるので信用ならないものの、かつて我々の標準装備であった User Streams API ですら廃止の際「アクティブなアプリの1%でしか使われていない」とデータが示されていた[28]。今回も「人々のごく一部」という部分については間違いではなさそうだと思う[29]

「ごく一部」側ではないライト層は我々の想像以上に気がつかず、気にしなく、調べない。イーロン・マスクの買収も報道で「なんか金持ちが社長になったらしい」と知る程度にしか興味がない。新体制が何をしたのかなんてわかっていない。影響も感じていない。Twitter は仕様や機能の変更についてまともに周知しないからなおさらだ[30]。気がついていないから不満もない。

私にとっての Twitter はここで一区切りだけど、我々のような「ごく一部」が去っていこうが現在の覇者である Twitter に大した影響はないのだろう。

わざわざブログに書くほどのことだけ言えばいいと思うようになった。人々のブログに書くほどではない気軽な「つぶやき」を眺めるのが好きだったが、自分自身の発信についてはそれでいい。ちょっとした気持ちは自分の中にしまっておく。そのためにアナログの日記がある。

Twitter も Twitter 的なものも、たまに「ブログ書いたよ」って言いに来る程度でいいかなと思っている。先のことはわからないから、数か月後には元気にツイートしてました、なんてこともありえないわけじゃないんだけど。

見ることについては Twitter と同じくらいヘビーユーズしている RSS リーダーに集約して行く。見逃してもいい情報を流しておくのが Twitter、見逃したくない情報をしっかり確認するのが RSS リーダーという運用だったが、うまくカテゴリ分けとかして両方の役割を後者に担ってもらう。Twitter でしか発信してない公式やクリエイターさん用と、生きているかを確認したい人たち用に、思い出したときに見るための最小限なリストはつくらないといけないかもな。

私の「Twitter の次」はそんな感じ。RSS とブログと日記。Twitter を始める前に戻っただけとも言う。

いままでありがとう、Twitter。

楽しかったなぁ。


  1. Twitterヘルプ: ツイッターとは? (2009年12月時点の Web Archive) ↩︎

  2. Twitter's not a social network? - CNET ↩︎

  3. いまでもリミットの仕様は存在するっぽいが、当時に比べて上限が多くなったのか少なくなったのかはよくわからない。たぶん多くなった? ちゃんと調べればわかりそう。あの頃元気いっぱいだった面々もいまではすっかりおとなしくなって、私のタイムラインでは規制されるほどの人は観測できなくなった。 ↩︎

  4. TweetDeck に自前 UI を被せるなどしている「中身が TweetDeck」なアプリを含む ↩︎

  5. Twitter、開発者向けガイドラインとAPI変更について説明 ユーザー数制限など厳しい内容 - ITmedia NEWS ↩︎

  6. 「もはやTwitterは個人開発者など眼中にない」――クライアントアプリ「SobaCha」開発者がUser Streams廃止に思うこと - ITmedia NEWS ↩︎

  7. UserStreamの終わりに - Adventure ↩︎

  8. twitter.com/TwitterSupport/status/1675990712297443330 ↩︎

  9. 新TweetDeckが正式公開。Twitter Blue認証ユーザー限定の有料アプリ化 | TechnoEdge ↩︎

  10. Twitterrific ↩︎

  11. Twitterrific: End of an Era • The Breakroom ↩︎

  12. 16年間アップデートされ続けたサードパーティ製Twitterアプリ「Twitterrific」の開発終了が決定 - GIGAZINE ↩︎

  13. Twitter、サードパーティー開発者の信頼回復目指しAPI統合とロードマップ公開 - ITmedia NEWS ↩︎

  14. Twitter、サードパーティアプリを全面禁止。無言で新ルール追加 | TechnoEdge ↩︎

  15. TwitterがAPIの新価格と詳細発表、既存プランは4月29日廃止。無料版は投稿のみ・月1500件 | TechnoEdge ↩︎

  16. Twitter、マスク氏による買収に合意 440億ドル(約5.6兆円)で非公開企業に - ITmedia NEWS ↩︎

  17. Twitter2.0: 私たちの公共の会話に対する継続的なコミットメント - Twitter ブログ ↩︎

  18. Twitterの透明性のある新時代 - Twitter ブログ ↩︎

  19. 当時のサードパーティクライアントやユーザーの手動によるリツイート (後に公式にRTが導入されてからは「非公式RT」と呼ばれるようになる) はコピー&ペーストによるある種無理やりなもので、ツイートがピュアな状態で維持されなかった。そのため現在の公式のRTほどの強い拡散力はなかった。
    いまさら聞けないTwitter超入門-@IT記事も対応なう: 本音のWebサービスガイド(5) (4/5 ページ) - @IT ↩︎

  20. Twitterのリツイートの生みの親 後悔を語る - BuzzFeed News ↩︎

  21. ユーザー自ら生み出したリツイートという行為が、いつのまに数にまかせた化け物になっているのは、やはりさびしい - in between days ↩︎

  22. ローカルタイムラインがないインスタンスがあることは知っている。私はそういうインスタンスの1つである Fedibird の考え に比較的同意できる部分が多いなと思って、ActivityPub 用のアカウントはとりあえず そこ に置いた。 ↩︎

  23. ワイワイすることがわるいと言っているわけではない。夢中になれる人は、それは非常に貴重なことなので、大いに楽しんでほしいと思う。 ↩︎

  24. イーロン・マスク氏はなぜTwitterの収益化を急ぐのか (集中連載「揺れるTwitterの動きを理解する」第1回) | TechnoEdge ↩︎

  25. Twitter買収時に生じた約1兆7000億円の負債利子の最初の支払日が間もなく訪れる - GIGAZINE ↩︎

  26. [FT]迫るTwitter買収資金利払い、イーロン・マスク氏に苦渋の選択 - 日本経済新聞 ↩︎

  27. Twitter Rate Limitsに関するアップデート - Twitter ビジネス ↩︎

  28. twitter.com/TwitterDev/status/996782996308013057 ↩︎

  29. 「事前に告知を行えなかった理由」と「広告への影響は最小限」については怪しいけど。 ↩︎

  30. 大きな変更があってもメールも送らなければアプリ内通知すら出さない。ツイートによってわずかなお知らせが行われるが、その際に使われるアカウントは小分けにされて数多くあり (現在だとおそらく Twitter(@Twitter) の関連アカウント / Twitter から探すのが早い)、どの変更についてのお知らせがどのアカウントから出てくるのか使い分けの基準もよくわからない。イーロン・マスクがオーナーとなってからは、オーナーの個人アカウントからしか発信されていない重要情報すらある始末。 ↩︎

2023/01/22

[Works] Google Chrome 拡張機能『Twitter's "For you" is not for me』

リンク

Twitter's "For you" is not for me - Chrome ウェブストア

リリース

2023/01/21

概要

Google Chrome 拡張機能。
Twitter Web App を開いた際に自動で「フォロー中」タブを選択し、「おすすめ」タブは非表示にします。

担当領域

すべて

2023/01/02

2023「役に立たない」

睡眠

書くことがない。

そりゃそうか。1年間寝ていただけだから。

ほぼ毎回気絶だし多相だしで、自分でもどのくらい寝ているのか正確には把握できないけど、最低で見積もっても365日のうち半分以上の日は18時間寝ていたと思う。

1年間毎日8時間睡眠をしていた人と比べると、起きている時間が1,825時間は短かったことになる。これを「24時間 - 8時間」で割ると114日。私の1年は、多数派の生活と比べて3か月以上短かったらしい。そりゃ書くこともないだろう。

だから2022年を振り返っても特になにもないのだけれど、相変わらず生きる意味についてずっと考えていた。2021年もずっと生きる意味について考えていた。こいつ生きる意味についてしか考えてないな。

世の中には「生きる理由」が溢れている。でもそのどれを聞いても、それは「生きる理由をごまかすもの」であって、「死なない理由」にはなりえても「生きる理由」ではないように感じる。この2つは近いようで全然違う。求めているような、納得できるような言葉に出会えたことはまだない。

生きることに意味も理由もないなんてことはわかっているんだよ。意味があって生まれてきたんじゃなくて、ただ生まれてきただけだから。そこに意味があるわけがない。でも意味がないのならどうして生きているんだろうと思うし、考えることをやめられない。

生きてしまったせいで「なぜ生きているのか」が必要になるのは、まるで循環参照のようだと感じる。グルグルグルグル回っても、結局答えなんてないんだろう。そう思いながらも、もうずっと考えている。

本当に、歳を取ってもなんにもわかるようにならない。わかっている気になっていたことを、わかっていなかったんだとわかるようになるだけだ。なにもわからない。なにもわからないことがわかっていること以外は、私にはなにもわからない。月日が経つほどにそのことを実感する。

これまでの人生で、本当にたくさんの間違いを選んできたなと思う。どうしてあんなに間違えることができたんだろうと不思議になる。クリティカルな場面での間違いを、何度も繰り返した。間違いに続けて間違いを選ばなければここへは来られなかった。その積み重ねにじわりじわりと追い詰められて、いまの私がある。

振り返ると「正しい道を選択したい」意識が一番強かった頃に、一番たくさん間違いを選んだように思う。

どうしてあんなに「正しく」生きようとして、どうしてあんなに「正しさ」に固執していたのか、わかっているんだけどね。自分に価値を見い出したかったんだ。他人からも自分からも認められていなかった、無価値な自分に。

正しくあろうとしなきゃ、勝とうとしなきゃ、自分に価値を認められなかった。だから正しさを求めてしまった。

私は過去に「今後誰のためであれ、何のためであれ、自分のためであれ、『魂を売る』ことはしないで生きていきたい」なんて書いている。でもこいつはその後の人生で3億回は魂を売っている。

自分のため、誰かのため、心の中でいろいろな言い訳をしながら。従いたくないときに従って、飲み込みたくないときに飲み込んで、頭を下げたくないときに下げてきた。それが「正しい」と判断したから。本当に信用できないやつだな。

いつも正しくあろうとした結果、いつも大切にすべきものを手放してしまって、いつも距離をとるべきものを抱え込んでしまった。そんな人生だった。正しくあろうとする必要なんてなかったのに。

もっと、ただそのとき楽しいと感じる選択や、いまその瞬間のことを考えての選択をしてくればよかったなって思う。きっとそれでも人生なんとかなったんじゃないかな。なんとかならなかったとしても、それなら「楽しかった」が残る。少なくとも私が来た道よりはマシだったんじゃないか。

ずっと先のことを考えて、段階を逆算して、自分で長いレールを敷いて。正しさのためだ、将来勝つためだと言い聞かせて無理をして。そうして結局うまくいかなかったときに残るカスのようなものよりも。

正しくあろうとすることで、私は自分の命を守ろうとしたのだろうと理解はできる。だけど、正しいか否かで判断しようとしていたことがそもそもの間違いだった。いまはそう思う。

1年間寝ていただけだから、2022年への命名といってもなにもない。あえて言うなら「睡眠」とかになる。それしかないだろう。

役に立たない

希望があったほうが生きやすいんだろうけど、希望がある状態に戻りたくないなとも感じている。希望がある状態のほうが正気じゃない。それは自分自身をごまかして思い込みによって持てるものだから、正気じゃない。希望を持ってしまったら、間違えてしまう気がする。

最近は「絶対に何の役にも立ちたくない」とよく思う。社会の役にも、人の役にも、何の役にも立ちたくない。生産性のある存在になりたくない。私は役に立つために生まれてきたわけでも、役に立つために生きているわけでもないんだよ。抽象的になりたい。

理由は自分でもまだよくわからない。でもなんとなくそれがすごく大事なことのように感じているから、とりあえず大事にしてみようと思う。

もうすでにスローガンもへったくれもない生きかたになっているけど、あえて2023年のスローガンを立てるとしたら「役に立たない」かな。

あとは「なにも変えようとしない」ことを意識したいな。世の中とか、他人とか、組織とか、変えようとしない。無理だから。怒ったりとか啓蒙しようとしたりとか、ついしたくなっちゃうんだけど。物心の原点が怒りだから、つい怒りたくなっちゃうんだけど。やめたほうがいいし、したくないなぁと思う。疲れるだけだ。変えられないんだから、だったら別のことしてたほうがいいよ。

こんだけずっと隠居隠居言っているのだから、いい加減穏やかになりたいよね。

単に生きているから生きているだけで、苦労してまで生きるようなものでもないと感じる。ここのところ、預金残高が人生のHPであるみたいな感覚があるんだよね。それがなくなったらこのゲームをやめればいいだけだからそれでいっかみたいな。崖から落ちるまでてきとーに踊るよ。

ま、これまでで一番、今日という苦手な日を迎えても別になんともないなって感じがするな。週が変わったくらいと同程度の区切り感しかないっていうかね。よくもわるくもなんともない。無味乾燥だね。

とりあえずまず睡眠を治さないことにはなんにもまともにできないんだけど、2023年の1年間を掛けても治せるものなのかわからないね。自信はあまりない。自らについて自信があるところなんて、性格のわるさと、人を見る目のなさくらいだ。

たぶん過去一で書きづらい書き初めだった。1年間寝ていただけだから。

2022/01/02

2022「ジョーク」

なんだかんだまだ生きているらしい。生きているみたいだから書くとしようか、書き初め。

正直私が言いたいことなんて去年すべて書いてしまっていて、それ以降の自分のすべてが蛇足のように感じている。もう言いたいことがない。だから筆が重いけれど、書いているうちに書けたりするからね。

やっぱりこの日は、1年で一番空虚な、1年で一番苦手な日だな。真っ白な日だ。

無題

2021年のスローガンは「人生の敗戦処理」。

この1年、なんにもなかったな。なんにもないがあった。なんにもなくなるように意識して過ごしていたのかもしれない。

「これが最後」と思っていたものがあった。それを終わりにすることは2020年内にはもう決まっていて、2021年に入って引き際の処理をした。なにかがあったのはそこまで。それも2月には終わり、あとはひたすらなんにもない1年だった。

本当になんにもないな。何月はあれがあって、何月にはああいうことがあって、みたいなものがなにひとつない。高校中退から進学までの空白だってもうちょいなんかあったぞ。いままでの人生で一番なにもなかったってことになる。

やりたいことも、できるようになりたいことも、ほんの細やかなものしかない。もう少し快適に暮らせたほうが不快が減るなくらいの。「なにか」になるものはもうない。それがあったとしても、そもそもそのための体力もない。

昔は目指したい「前」があって、思うように前へ進めないことが苦しかった。いまはもう前がどこなのかわからない。前向きとか言われても、どこを向いたら前向きなんだろうな。

初めからなにもなかったのかもしれないと最近は思ったりする。復讐心と怒りしかなかったのに、それを自分には「なにか」があるように勘違いしていた。それが私の人生の最初だったのだと思う。怒りで進むことを「前」だと思い込んだり、その次は他人の人生を「前」に進めることを自分の人生の「前」だと思い込んだりした。

「なにか」だと信じていたものがすべてなくなってから振り返ると、そう思うんだ。もとからなにもなかったんじゃないか。だからなにもうまくいかなかったんじゃないか。

そんなことを考えながら過ごす、なにもない1年だった。そのときそのときの体力と気分でできる範囲の時間潰しをしながら、人生に意味がないことをごまかしながら、ただ漫然と365日を消費した。そんな1年だった。

この1年をどう名付けようかいろいろ考えたけど、なんにもなさすぎて思いつきようがなかった。ここで「無題」を使うことにした。これ以上ないほどになんにもなさを表現できる総括だ。

怒りも、憎悪も、生きている人間だけのものです。生きている人間になるためには、ただ息をしているだけではだめだ、と思います。

ジョン・ミンヒ 著, 酒井君二 訳『ルーンの子供たち 冬の剣 2 消えることのない血』宙出版, 2006, p.621, ISBN 4-7767-9238-9

昔から何度も読んだ大好きな小説の一節。ずっと「息をしているだけにはなりたくない」と思いながら生きてきた。でもいざその状態が近づいてくると、意外とわるいものでもないかもしれないと感じている自分がいる。

希望がなくなればなくなるほど、希望がないことを実感するほどに、飲み込むほどに染み込むほどに、心が安穏になっていく気がする。

このほうが楽だ。すごく落ち着いていて、平らで、穏やかだ。エネルギーはもうないけれど、その代わりにただ静かなものだ。

こんな状態も、こんな日々も、わるくはないんじゃないかと思うくらいには穏やかだ。もしもここから目標を持って、なにかをがんばろうとしたら、きっとこんな心境ではいられない。それは嫌だという感情も心の中にあるんだろうな。

やり直したい気持ちがないわけじゃない。後悔ばかりだ。もし戻れるとしたらどうするか、あのときああしていれば、毎日のように考える。

でもやり直したところで、叶えたい夢だとか、目標だとか、なりたい自分があるわけじゃない。私はただ楽したいだけなんだ。もっと極限まで楽な暮らしがしたいだけ。本来ならもっと楽に生きられたであろう選択肢への後悔や、人生2周目でもなければ不可能なありえない選択肢への妄想をしているだけ。

「本来」ってなんだよな。私の人生はいま生きているこれしかないのに。もっといい自分になるための「やり直し」じゃなくて、ただ楽したいだけなんだ。そこには「どうなりたいか」がない。だったらもうこのままでいいんじゃなかろうか。そう思ったりする。

このままでいい。なにもないままでいい。2021年はわるいバランスではなかった。当社比でマシだった。さすがに2022年はもう少し働かなければいけないだろうけど、これくらいの穏やかさでいられたらいいな……。

ジョーク

2022年のスローガンは「ジョーク」。去年からもはや「スローガン」と呼べるような代物ではなくなってきている気がするけど。

そんなものに意味はない。人生に意味はない。

意味のない人生の中で、楽しもうとすることによって楽しめることがあるだけで、すべてに意味はない。楽しいと思えることだって、どれも楽しもうとするから楽しいだけで、楽しもうとしなければ楽しくはない、欺瞞に満ちたものだ。

楽しむこととか、楽しみを得るためにがんばることもインスタントでしかなくて、意味がない人生を一時的にごまかすものでしかない。ごまかし続けて生きているだけだ。気がつかないように。我に返らないように。生きている間のどんな行動も、本質的には酒を飲んで気を紛らわすのと同じだ。

生きていることに意味はない。生きているから生きているだけだ。夢も目標も希望もなく、大切なものも人もなにもかもがない。ほしいものはあるにはあっても、「あったほうがいいなぁ」程度のささやかな気持ちだ。喉から手が出るような思いなんてなんにもない。突き動かされる情熱などどこにもない。すべてがどうでもいい。

Y-dash's Blog: 人生の敗戦処理, 2021

意味がない人生なんて、ジョークに過ぎないんじゃないか。この1年、そんなふうに考えていた。

人生なんてジョークなんだから、楽しければいいし、楽しそうなほうに行けばいいだけなんじゃないか。たとえ上っ面でも、欺瞞でも、どうせ意味はないんだから。ジョークなんだから。いまこの瞬間が、いま目の前が楽しければそれでいいんじゃないかって。

それが本当の「どうでもいい」じゃないかって。正しいも間違いも、役に立つも立たないも、成果の出る出ないも、意味のあるなしも、本当に楽しいのかどうかも、どうでもいい。

「実利より誇り」とか言っていた私が「実利よりいまこの瞬間目の前が楽しければいい」になってるの、順当な堕落という感じがするな。

強く生きていく方法、強く生きているように見える方法は知っているけど、生きることに意味がないのに、強く生きたところでなんの意味がある。世間一般の言う「前向き」に生きようとすれば生きられるし、「ポジティブ」に生きようとすれば生きられるよ。でもどうせ死ぬのに、そんな無理してまで生きてなんの意味があるって言うんだ。

ジョークだ、人生はジョーク。ジョークとでも笑いにしなきゃやってらんないクソみたいな人生。行動も選択もその結果も、いいもわるいも全部ジョーク。所詮ジョークなんだから、もうなんでもいいよな。

そう思いながらも、「意味があるのか」という思考は常に抜けないんだけどさ。「ただ楽しければいいや」という気持ちと、「そんな工夫までして意味があるのか」という気持ちの間で、私の頭の中はずっとループしてる。でもこれを「ジョークなんだ」とごまかせたり、ごまかせなかったり、このバランスでまだしばらく生きていけるんじゃないかって思ったりするんだ。

「生きる」ってことは、「なぜ生きるのか」への答えを先送りにし続けることなんだと思う。

無理やり書いてはみたけど、やっぱり蛇足にしかならなかったな。そりゃそうか。いまの人生そのものが蛇足みたいなものだからな。「ここからぜんぶ敗戦処理」なんて決めたあとの人生が蛇足にならないわけがないんだ。

いつまで生きられるんだろうな。

2021/09/07

[Works] Google Chrome拡張機能『Amazon jp Open Orders restorer | 「未発送の注文」を復活』

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Amazon jp Open Orders restorer | 「未発送の注文」を復活 - Chrome ウェブストア

リリース

2021/09/07

概要

Google Chrome拡張機能。
Amazon.co.jpの「注文履歴」から消えた「未発送の注文」タブを復活させる。

担当領域

すべて

2021/04/14

[Works] Google Chrome拡張機能「Mildom Happybukuro Blocker」

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Mildom Happybukuro Blocker - Chrome ウェブストア

リリース

2021/04/11

概要

Google Chrome拡張機能。
Mildomのコメント欄に出る「ハッピー袋ありがとう!」を非表示にするだけ。

担当領域

すべて

2021/03/17

人生の敗戦処理

新年を迎えた時点で書きたい内容は決まっていたが、諸事情でタイミングがあんまりよろしくなかったために一旦書かないことにしていた。もう3月だけど、これを2021年の書き初めブログとしよう。

人生を諦めることにした。

自分の人生に可能性を感じない。どう転んでも成功する未来が見えない。

これはね、「ネガティブ」ではなくて、状況をありのまま捉えているだけだ。

私はずっと自分の生まれ持ったものに逆らって生きてきた。物心がついたときにはすでに疲れ切っていた。どうしてだろう、「はぁ、疲れたなぁ」と毎日思っていた。もうゆっくりしたかった。

そんな自分を変えたかった。なんにもできない弱い自分、それが自分だと信じたくなかった。がんばれば、努力すれば、誰よりも強い自分になれるはずだと信じたかった。なんでもできる、なんにでもなれると信じたかった。元気で力強い自分になりたかった。私はすべての理不尽を解決したかった。全知全能になりたかった。

世界が大嫌いだった。学校でも、家に帰っても、どこにも居場所はなかった。自分のことを認め、肯定し、受け入れてくれる人はどこにもいないと思っていた。世界の中で、自分の価値は限りもなく矮小だった。

そんな自分に耐えられなかったから、無理やり自分に価値をつけた。それが中二病の始まり。いまここにいる自分は本当の自分じゃなくて、異世界にいた自分が本来の自分なんだ。いまここにいる自分は仮の姿で、一時的にこんな暮らしを送っているだけなんだ。そう本気で信じ込んだ。だから死なないでいられた。

大嫌いな世界の中で、勉強して、偉くなって、認めさせてやる。権力を持って、こんな世界なんてすべて壊してやる。それからめちゃくちゃ勉強した。本当にたくさん勉強した。

でも勝てなかった。教科単体では1位になれることはあっても、総合順位では一度も一番になれなかった。毎回上位争いに食い込めても、一番になれる日は来なかった。

私は自分を褒めなかった。なにをやっているんだお前はと自分を罵倒し続けた。一番じゃないと意味がなかった。95点が取れても、100点の1位がいるなら意味がなかった。私は世界を壊す力がほしいのに、こんな狭い学校の中ですら一番になれないなんて、私はそんなものじゃないはずなんだ。

勉強して、勉強して、勉強して、あるときにふとどうでもよくなった。折れた。どうせ勝てないし。意味がない。

勉強がどうでもよくなったあとは、それまで以上に生徒会活動にのめり込んだ。先生の好印象を得るためと、権力を得たいという願望由来から続けてきた生徒会役員。でもそれも「教師からのいじめ」で奪われた。

もうこの学校にはなんにもなかった。通っても意味がないとしか思えなかった。「こんな高校に通うくらいなら自分で勉強してやる」、そう啖呵を切ってやめた。それも嘘じゃない、嘘じゃないんだけど、本当の本当はただもう通う体力がなくて逃げただけだったと、私自身はよく知っている。

思えばあれから、逃げ続けた人生だった。

幾度も挑戦はした。諦めていなかった。私は何者かになりたかった。ここで勝てなかったから次はあそこ、ここでも勝てないから次はあっち。場所を変え、ジャンルを変え、なんとか勝てる道を探そうとした。向いている道は他にあるのだと自分に言い聞かせた。「これはチャンスだ!」「今度こそ行ける! 私は勝つ!」、そう何度も思った。結局ただの1つとして、私は勝てなかった。

問題だったのは場所じゃない、ジャンルじゃない。適性の問題じゃないんだ。なにもかもぜんぶ、私に続ける体力がないのがわるい。勝てるまで続ける体力がないのがわるい。たとえゴールが目前でも力尽きて動けなくなる、私の体力がないのがわるいんだ。

元気なときに気合とともに始めたことを、元気じゃなくなったときに続けられなくなる。どこへ行ってもひたすら同じ幕切れを繰り返した人生だった。別の場所で勝つための転換だと思い続けた選択の数々は、実態すべて「逃げ」だったんだ。

「努力する才能」というものがあって、それはきっと各分野ごとの才能があるかないか以上に遙かに重要なものなんだ。それがない私は、どこへ行こうとなにをしようと結局勝ち切ることができない。このことにようやく気がついたのが2020年だった。「身の程」というものを、いままでの人生で一番実感する年だった。

自分自身に見切りをつけたから、この人生は敗戦処理だ。

「人生は何度でもやり直せる」「いつからでもどこからでも、なんでもできるし、なんにでもなれる」、それはその通りだと思う。私がいまいるような場所からでも、いくらでもやり直すことはできるんだろう。

でもね、人生は何度でもやり直せるけど、いまいる場所からやり直す体力を持ち合わせているかどうかというのは別問題だ。やり直せばやり直せるでしょう。いまから最強の自分になることもできるでしょう。やればできるでしょう。当たり前だ。でも私にはその体力がないんだ。

私はずっと、自分に体力がないことを見て見ぬふりをしてきた。そんなはずはないと思っていた。やればできるはずだと信じたかった。

そのスタンスが結果として、私を追い詰めた。無理をしてさらにおかしくなった。やればできるはずだと信じているから、いつも高く飛ぼうとして踏み込んだ。ここにすべてを賭けて成功させると意気込んで、何度も何度も懲りずに持っているものすべてをベットした。

勝てなかった。失った。高く飛べずに落ちた。賭けたものは返ってこなかった。ただ心が擦り切れていくだけだった。

もっと早く、私は私自身の性質と限界を受け入れて、体力がないなりのゆっくりとした暮らしを目指して舵を切るべきだった。負けていてもいいから、低等で質素でいいから、ただ静かな暮らしを目指すべきだった。

負けを認めたくなくて、悪手を打ち続けた。あがき続けた。後戻りのできない、選択肢を狭める道を選び続けて、人生が少しずつ袋小路に追い込まれていった。

気づいたころには遅かった。いまの私には、「ただゆっくりした暮らし」を手に入れることすら遠い。もっと早く気づくべきだったんだ。

物心ついたころの自分に、手紙を書いて教えてやりたい。お前の人生は好転しない。生まれ育ちには逆らえない。高く飛ぼうとして、着地できなければ怪我をする。諦めろ。受け入れろ。身の程を知れ。

もうすべてを諦める。もうすべてがどうでもいい。

私だって勝ちたかった。勝ちたかったときは「自分に誇れる自分」が座右の銘だったのに。すべてどうでもよくなってしまった。自分が理想の自分からどんなに遠ざかろうがもはやどうでもいい。誰にどう思われようが、どこでどう言われようが、名誉も矜持もなにもかもすべてどうでもいい。

そんなものに意味はない。人生に意味はない。

意味のない人生の中で、楽しもうとすることによって楽しめることがあるだけで、すべてに意味はない。楽しいと思えることだって、どれも楽しもうとするから楽しいだけで、楽しもうとしなければ楽しくはない、欺瞞に満ちたものだ。

楽しむこととか、楽しみを得るためにがんばることもインスタントでしかなくて、意味がない人生を一時的にごまかすものでしかない。ごまかし続けて生きているだけだ。気がつかないように。我に返らないように。生きている間のどんな行動も、本質的には酒を飲んで気を紛らわすのと同じだ。

生きていることに意味はない。生きているから生きているだけだ。夢も目標も希望もなく、大切なものも人もなにもかもがない。ほしいものはあるにはあっても、「あったほうがいいなぁ」程度のささやかな気持ちだ。喉から手が出るような思いなんてなんにもない。突き動かされる情熱などどこにもない。すべてがどうでもいい。

どうせ生きているなら極力不快じゃない暮らしがしたいけど、不快を減らすためには不快なことをしなければならない。ただ呼吸をするためだけにお金が必要だ。稼がないといけない。働かなくちゃいけない。どうしてなんだろう。生きていたいわけでもなくて、ただ生きているから生きているだけなのに。

こんなゴミみたいな、なんにもない、どうでもいい人生を、意味がないということを、酒や受動的コンテンツを摂取して、自分自身をごまかし続けることを寿命までずっとしなければいけないらしい。気が遠くなる。人生ってなんなんだろう。生きるとはいったいなんなんだろう。意味がないと知っていても問いたくなる。

人生どうしてこうなっちゃったんだろう。そう問いたくなる。だけどそのセリフは意味的にはため息と同じようなものだ。自分の人生がどうしてこうなってしまったのかは、誰よりも自分自身が一番よくわかっている。

2021年の、もしかしたら今後の人生ぜんぶのスローガンは「敗戦処理」。がんばらない。無理はしない。もう痛い思いはしたくない。その結果なにも手に入らなくても、それでいい。ものも立場も極力持たずに、いつ終わってもいいように過ごそう。その中で、がんばらなくても生きていけるような日々をなんとか模索していきたい。

人生をすべて諦めたあとはどうなるのか。もし私へ興味がある酔狂な人がいるなら、その末路の観察をお楽しみください。

これが私の「隠居」。

ここからぜんぶ敗戦処理。

2021/02/27

[Works] Y-dash's Site

リンク

Y-dash

リリース

2021/02/27

概要

自分自身のサイト。を4年ぶりに改装したもの。

担当領域

自分のサイトなのですべて自分

2021/02/14

アーティストマネジメント/サポート業, イベント制作業からの撤退につきまして

表題の業務の関係で私を知ってくださっているかたもいらっしゃいますので、以下本記事にてご報告させていただきます。

私事でございますが、このたびアーティストマネジメント/サポート業, およびライブイベント制作業の一切を廃することといたしました。

それに伴いまして、私と株式会社harvestの間での契約も終了となります。夜明あおいのマネジメント担当につきましては、同社内へ引き継ぎいたします。以降夜明に関する新規のお仕事のご連絡は yoakeaoi@hvt-inc.com までお願いいたします。

ただ私という裏方が1人抜けるだけでございます。私よりもスキルも経験も豊富な面々が担当となりますので、夜明の活動につきましてはご心配いただくような事柄はございません。どうか夜明へこれからも変わらぬご声援をいただければ幸いに存じます。

取引先の皆様, そしてお客様、私が本事業の関係者であるがゆえに私のSNSなどをフォローしてくださっていたかたもいらっしゃるものと思います。以降私が本事業関連の発信をすることはございません。有益な発信がなされることはございません。私は元より、SNSは気軽にフォローし、気軽にフォロ―を外しながらコンテンツに触れて遊ぶものと認識しております。どうか何もお気になさらず、フォローを解除していただければと思います。私は何も気にいたしません。

以下は私事の中でも特に個人的なお話。撤退の理由は大別して2つです。いずれも私個人しか関わりのない、極めて個人的な理由です。

1つ目は採算の深刻な悪化。私はこの業界に入って以来、別事業で収益を上げ、その余裕を用いて本事業に取り組む体制を続けて参りました。

これは本事業は私にとって「がんばっている人の助けとなりたい」ゆえの取り組みであったためです。私が利益を得るよりも、より演者さんの力になること, よりよいイベントを催すこと, よりお客様に楽しんでいただくことにお金を使いたいと考えておりました。もちろん事業を継続するためには収益が必要ですが、目的としては第2・第3以降の位置に置いてこれまでやってきました。それが私にとって大切なことでした。

しかし感染症の流行により、この体制は無に帰しました。本事業にて赤字が生まれたのみならず、支えとなってきた別事業においても多大な影響を受けることになりました。柱の崩れた状態で、コストを費やしたい, 費やすべきである本事業を続行することは現実的に困難を極める状況にあります。

2つ目は、まとめるならば、自分自身の限界を悟ったため。

才能を感じたアーティストのマネジメントを担当することになったとき、これはこの業界での最大で最後のチャンスだと思いました。ここで私の真贋が試されるのであり、ここで結果を出さねばならない、この千載一遇の機会を活かせぬようならばそれは私に可能性がないということだ。そう思いました。

あれからの2年間、マネジメント担当者として、自分の思うような望むような成果は生み出せていません。もちろん担当アーティストはいつでも輝いていましたが、担当アーティストが持っている力に対して私の実力は不十分なものでした。私にもっと力があればできることはたくさんありました。感染症の影響もあるでしょう、 感染症によって思うように動けなかった要素も多分にあるでしょう。ただそれは結果に至るのを早めただけだと感じています。遅かれ早かれ、私は同じ結論にたどり着いていたのでしょう。そう感じるのです。

現実的に継続不可能であり、私ももうここまでかなと思っている。だからここで終わりにすべきだと判断しました。

同じタイミングで契約をした夜明へ大きな助けをしてあげられなかったことは、夜明にも夜明を見ていてくださっている皆様にも申し訳ない気持ちでいっぱいです。でもきっと、私がこのまま続けて担当するよりも、別の未来のほうが明るく楽しい未来になる。そう考えながら、この引き継ぎを行いました。

元々まったくの別業種での経験しかなかった中で、初めてこの業界に入った2017年。あれから今まで、とても多くのかたに助けていただきました。何もわからないところから始まった私は、たくさんのご迷惑をおかけしながら、たくさんのあたたかいご協力のおかげでここまで続けて来られたと思います。

制作したライブは我が子のように大切でした。お客様の背中が好きでした。自分が関わったイベントを思い切り楽しんでくださっているお客様の後姿が好きでした。用意したステージで、素敵なパフォーマンスをしてくださる演者の皆様が好きでした。もちろん仕事である以上、大変なことだってあります。だけどあの瞬間は、「やっていてよかった」という感情が強く湧き上がってくる。幸せで、皆様が楽しそうであればあるほど私も楽しかったです。

夜明はもちろん、関わってくださったすべての演者様が、RISES; 上昇してくださいますことを。益々ご活躍されますことを。これまでより少し遠くから、端っこから、こっそりと見ています。

これまでに賜りましたご厚誼に心から感謝申し上げます。ありがとうございました。

今後とも夜明あおいへお力添えをいただけますと幸いでございます。

Yokokura Yui