2015/09/23

老兵とアンジュルムと日本武道館

タイトルにも自分が含まれているように、この記事のほとんどが自分語りだ。

もちろんアンジュルム日本武道館当日の感想もあるのだけれど、
そのとき感じたことに繋がっていく、背景としての経緯を書き留めたいと思った。

「アンジュルム」の日本武道館に、本当に心を動かされた。
だから、明るいばかりの内容ではなくなってしまっても、この機にすべてを書きたいと思った。
そうしたら、思ったより長くなってしまったのだ。

なにせ、あれから3年は経つ。

農民

僕はずっとアイドルが怖かった。
僕はずっとアイドルから逃げていた。

大好きだったスマイレージから大好きだった子が卒業したのは、2011年末のことだ。

大切な子の大切な戦友と後輩たちを、応援したいとは思っていた。
しかし、見つめていた子のいないステージは、どうしてもつらいものだった。

「チョトマテクダサイ!」のリリースイベントを回った。
お客さんも減っていない、メンバーもがんばっている、大丈夫そうだ……。
安心した僕は、その場を離れることにした。

……なんていうのは、たしかに間違っていない。嘘もついていない。
だけど、それは本当は自分自身に対しての建前だと思う。本当のことを書きたい。

印象に残っている逸話がある。

伊集院光が立川談志と対面したとき、落語をやめた理由を語った。「談志の落語のテープを聴いたとき、その決して埋まることのない差に衝撃を受けた」というものだ。しかし、談志は「うまい理由が見つかったじゃねぇか」と返し、本当だけど本当の本当ではないと言う。

本当だろうよ。本当だろうけど、本当の本当は違うね。まず最初にその時のお前さんは落語が辞めたかったんだよ。『あきちゃった』のか『自分に実力がないことに本能的に気づいちゃった』か、簡単な理由でね。もっといや『なんだかわからないけどただ辞めたかった』んダネ。けど人間なんてものは、今までやってきたことをただ理由なく辞めるなんざ、格好悪くて出来ないもんなんだ。そしたらそこに渡りに船で俺の噺があった。『名人談志の落語にショックを受けて』辞めるんなら、自分にも余所にも理屈が通る。ってなわけだ。本当の本当のところは『嫌ンなるのに理屈なんざねェ』わな

伊集院光 『のはなし』 宝島社, 2007年, ISBN:978-4-7966-6094-5, P.99, 「好きな理由」の話

これはまさしく僕の心の動きだ。なにかのファンでいることは、そのスタンスにもよるだろうが、ものすごく楽しいのと同時に、苦さが付いてくるものだと思っている。この2つの要素はそれぞれ完全に独立しており、楽しいから苦くなくなるとか、苦いから楽しくなくなるとか、そういったことは一切ない。相殺することなく、独立して、同時に味わうものだ。そして最終的なトータルとしては、楽しさから受けるもののほうが大きいものだ。

僕はだんだんと苦さを強く認識するようになっていて、アイドルのファンでいること、なにかのファンでいることに疲れていた。終わりにする理由は、どれも本心だ。嘘じゃない。だけどやっぱり、本当の本当はキリのいいきっかけでしかないのだと思う。

好きなものから離れるには、未練があるほうがやりやすい。手法は簡単で、一気に自分を引き剥がす。すべての情報を遮断する。次第に心が乾いていき、形が変わり、自然ともとの位置には填められなくなるものだ。たとえ心は惹かれても、もとの位置には填まらないし填められない。「農民に戻ります」と言い残した僕は、計画通りな自分の薄情さを改めて知る。

ベトナム帰還兵

そうして僕は退屈になった。なにせ、それまで自分の中心に1つのアイドルグループがあったのだから。知った顔にも会えるし、寄り道がてらにハロプロ系のイベントに現れるようになる。その延長で、久しぶりにちゃんとしたライブ用の会場でのイベントに行ったとき、問題が起きた。

アイドルのステージを見ることが苦痛だった。

ショッピングモールの一角のような、景色に雑音がある場所では、ステージに意識が集中しきれない。しかし、客席の人間がステージを見るためにつくられた会場で、音楽が流れ、照明が刺されば、自然と意識が一か所に集中する。

アイドルのステージであるその独特の空気感の中で、自然と思い出される。かつて見ていた子のステージが頭の中で再生される。いま目の前にあるステージがまったく頭に入ってこない。友人が隣にいたからよかったものの、ひとりだったらその場にへたり込んでいたかもしれない。

なによりもいま目の前に全力で立っている演者に申し訳なくてしかたなかった。受け手のあり方としてありえないと思った。その申し訳なさが、とにかく一番の苦痛だった。この時期、自分のことを冗談交じりに「ベトナム帰還兵」と呼んだのだった。

時が過ぎるのは早い。スマイレージ初の日本武道館公演が発表された。行くべきだと思った。同時に、こんな背信の自分に行く資格があるのかと強く疑った。そしてなにより怖かった。

結局勇気が出なかった。客席が名前を叫んだその行動を聞いて、「僕は行かなくて正解だったのかもしれない」と思った。そのときの僕は、もう芸能人ではない彼女がいまだにコンテンツとして消費されることに、強い吐き気を覚えていたからだ。

「本人は不在なのに、もうアイドルじゃないのに、どうして無理やり働かされ続けないといけないんだろう」ってやるせなくて。

誰に対しても強制なんてできないけれど、僕はすごくいやだ。本当は、もう他の道を歩んでいる子の名前を公の場で出すということすらいやだけど、きっとそれは厳しすぎるんだろうね。

Dash Cave: 2012.12.26., 2012.12.26

いまの考えは少し違って、だいぶ穏やかなものだが。

あれからいろいろ思ったし、考えたし、言ったこともあったけど、なにが正しいのか、なにが正しかったのか、なにが君のためになるのか、もうわからないなぁって思うよ。

考えても、僕にわかることでもないのかもしれないなぁって、いまは思う。

手記, 2014.12.28

その公演が「スマイレージ」の初めてにして最後の武道館だったのだと知ったときには、強い後悔を抱いた。改名について僕が言えることは、なにもなかった。

たとえいままでハローという戸棚の中の9割を見てきた人であっても、スマイレージという木箱の中身を見つめてもいない人には語られたくない。戸棚の中の一部がじゃなくて、ただその箱が、その中身が、好きなんだ。

Dash Cave: 考えてきたこと。, 2011.08.12

僕がされて嫌だったことを、僕は決してしたくない。いまでも強くそう思っている。

「アンジュルム」の日本武道館

そんな僕は、アンジュルムの日本武道館というステージを見るにあたって、最悪な条件を揃い持った存在だったと思う。

行く踏ん切りのつかないまま、日付だけが過ぎて行く。プレイガイドを開いては閉じるを繰り返す。そんなことをしている中で、福田花音ちゃんの卒業が発表された。厄介なことを考えている場合ではない。後悔したくない。チケットを取った。取れた。よかった。

当日。

本当に怖くてしかたがなかった。逃げ出したくてしかたがなかった。

オープニングアクトを眺めながら、「あぁ、ハロプロだなぁ……」と感じ、かつてホームだった空間をアウェーに感じる。不思議な感覚だった。

本編が始まる。オープニングムービーと会場の盛り上がりが、しみじみと懐かしい。

1曲目は「大器晩成」。初めて聴くそのイントロが始まって数秒の9人の姿で、すでに泣きそうになっていた。まだ歌い出してもいない間の、その短い時間の9人の姿から、もう自分の感受性が受け取れるもののすべてを感じ取った気がした。その時点で、「あぁ、来てよかった……」と思っていた。

僕は彼女たちをずっと見つめてきたわけではない。だから、きっと細かいところは見えていないし、どうしても漠然とした感想になるけれど……。

とにかく強く感じたことは、僕が見ているのは「アンジュルム」だ、ということだった。

決して過去からの借りものなんかじゃなかった。たしかに、僕にとってすごく聴きなじみのある曲だ。狂ったように何十回何百回と聴いた曲だ。しかし1曲として、「"あの曲" を "なにか違うもの" が歌っている」と感じることはなかった。「"昔の曲" を "引きずって" 歌っている」と感じることもなかった。いつの時代に生まれた曲も、1曲1曲すべてが、いまそこにいる彼女たちのものだった。

こんな風に感じるなんて思ってもいなかった。僕の見ていない間に、彼女たちは彼女たちの「アンジュルム」をしっかりとつくりあげていたのだ。

中でもわかりやすいのが、メドレーの中の1としてさらっと終わった「スキちゃん」。

僕はその流れを見て、「あ、いまはこうなってるんだ」と思った。つまり、スキちゃんを盛り上げるためのツールとして使わない体制を、ずっと続けてきていまがあるように感じた。「あ、いまはこうなってるんだ。これがアンジュルムなんだ。うん、いいね、いいと思う。」

そのぐらい自然だったし、もちろん物足りなさも一切感じなかった。だから、終演後に「スキちゃんの扱いがよかった」という趣旨のツイートをたくさん見かけて、かなり驚いた。「えっ? ずっとそうなんじゃなかったの?」

「スマイレージ」はこの地上からしっかり消えていたと感じることができた。同時に、彼女たちの中にしっかり残ってもいるんだと感じることができた。

勝手なことだけど、大切なものを、「頼んだよ」とすごく素直に思えた。

そしてもうひとつ大きなことは、2期メンバーが本当に頼もしく見えたことだ。頼もしく見えたということだけじゃなくて、これまでがんばってきてくれたこととか、アンジュルムを支えてきてくれたこととか、うまく言えないけれど。ステージ上の姿を見ながら、「あぁ、君たちでよかった」と強く噛みしめていた。

終演して浮かんできたのは、とにかく「ありがとう」という言葉だった。1期に、2期に、3期に、メンバーひとりひとりに、何度もありがとうと言いたい気持ちだった。

正直僕は、メンタルを削って現実に打ちひしがれて帰ることになるかもしれないと、覚悟を決めていた。しかしむしろ、しっかりと元気をもらって帰ってきた。自分はもう昔のようにはなれないけれど、「やっぱりアイドルっていいな」と思うことができた。アイドルというのは本当にすごいし、そう感じさせてくれたアンジュルムはすばらしいアイドルだと思う。

根拠もなく故郷を誇りたくなるような気持ちで、「そりゃあ当然っしょ!」と勝手に自慢げに言いたくなるところでもあるけれど、でもそれは生半可なことではない、当然じゃないはずだと、同時にこのステージで感じさせられた。それをつくりあげているメンバーひとりひとりに、ありがとうと言いたいんだ。

「アンジュルムの日本武道館」という公演から受け取るものがどんなものであるにしろ、その公演が僕にとってひとつの「区切り」になると思っていた。だから、もし書けるのであれば書こうと思っていた。「ベトナム帰還兵とアンジュルム日本武道館」というタイトルで。

だけど、公演を見ている最中に、僕がそう名乗ることは失礼極まりないと思ったんだ。僕が見ていない間にがんばりつづけて、いまの「アンジュルム」をつくってきた彼女たちに。

僕のような、逃げ出した背信の裏切り者の言葉の価値なんて、薄っぺらくてしかたがないものだ。だけど、そんな僕にこう感じさせてくれたステージの力は、本当にすごいと思う。そう感じさせられたから、すべてを書きたくなったのかもしれない。

最後に、お前が言うな大賞2015を狙えるコメントで締めたいと思う。

アンジュルムは、いまこそ見に行くべきアイドルだ。

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Y-dash