2017/06/10

卒業

なんとなく、最後に「卒業」ってものをしたときに書いた手記をここに持ってきてみました。


あ、卒業しました。

卒業した実感っていうか、そもそもが4年も通っといてその場所に所属しているという実感を持たずじまいだったので、「所属しなくなる」という実感もあるわけがなく。ただ「働かなきゃいけないんだなぁ」という意識がある。

「人生でまったくの無駄になることはひとつもない」と思っているから、ここに通ったことについてもそうなんだけどさ、もったいなかったなぁとはすんごく思う。この時期のこの時間を、もっと他にあっただろってね。コスパの問題ね。

やりたいことあったのに、なにしてたんだろなって。1日8時間をとられるようになる前に、そうなる前だから力を注げることっていうのがたくさんあったのにね。

ただ、生活のために収入源が必要だったんだよね。すべてを掛けてでも、あらゆることを犠牲にしてでも、なにかを追いかけるっていうような根性は、僕にはないからね。

だから僕にはこうすることしかできなかったんだけど、だけど、もっとうまいことやりたかったよね。

4年間よくがんばったっていうより、よく耐えたなぁって思う。

僕のこの学校に入る前の座右の銘は、「自分に誇れる自分」だった。誇りなき生より誇りある死を選ぶ自分だった。だけど、この4年間のうちに、「どんな手を使ってでも生き残る」に変わってしまったんだよね。

狡猾だったり、開き直ったり、屈辱的な手段だったり、「普通その手使うか?」「そんな手あんのか?」と周りに思われるような手を繰り返して、顔の面だけは厚くなったかな。そういうハートは強くなったかな。

たぶんその厚顔さっていうのは、今後も役に立つ場面があるんだろうな。 「あいつはそういうやつだから」と許されるポジションにいたのは、楽だったかも。

僕のこれからの座右の銘は、「自分になる」ってこと。前と同じ自分にってことじゃなくて、僕は自分になりたい。なりたい自分に近づくことを諦めたくない。

最近すごく思うことというか、意識することは、自分の中の「ガラの悪さ」みたいなものを、大事にしていきたいなってこと。なんていうか強気さっていうか、忘れないようにしたいなって思うんだよね。世の中に適応できないのなんて物心ついたころからずっとなんだし、もとからなにも持ってなかったんだから、怖がってもしかたないわけで。

在学中のとある出会いから本当にいろんな出会いがあったこと、いろんなことが変わったこと、そのきっかけがこの学校にあったってことが、この4年間の救いかな。

年がたつほどに、放っておくと道は狭くなって、選択肢は減っていって、新しいことは始めづらくなるけれど、やりたいことをやりたいってこと、自分になりたいんだってことを、これからも諦めずにいたいって思う。

働きたくない。

2017/01/25

「マナーの改善」「意識の問題」は「運用でカバー」と同義である

システム開発の場面などで使われる、「運用でカバー」という言い回しがあります。

簡単に説明すると、

  • ある目的のためにつくられたシステムにおいて、欠陥がある。
  • 理想的な状態ではないけれど、事情があってそれをいま直すことはできない。
  • 使い方を工夫すればなんとか使えるから、とりあえずこのままのシステムを使おう。

事情はお金がないとか、時間がないとか、上層部がアレとか、社会がわるいとか。

検索したほうがよりよい説明が出るでしょう。

ゲームにたとえると、普通に歩いてカボイの村に入ろうとするとフリーズしてしまうけど、走りながら村に入ると問題が起きない。説明書に「カボイの村には走って入ってください」と書いて発売しよう!みたいな話。

ヤバイ。

「顧客管理システムに名字が1文字だけの人を登録するとエラーになるので、後ろに『〇』を付け足すようにしてください」みたいな、初見殺しの独自ルールを追加することによって、いまのままのシステムでなんとかやっていきましょう。システムの欠陥を運用でカバーしましょう。という言い回し。

この「運用でカバー」とまったく同じ構造の言説が、世の中で頻繁に使われているのです。

「マナーの改善を」
「ひとりひとりの意識の問題です」

プログラムを書いてつくられたシステムだけでなく、世の中の人間がつくったシステムは、人間が便利に過ごすためにつくられたはずです。

そのシステムを使うために人間側に工夫が必要なのは本末転倒であり、それは欠陥のある未完成なシステムです。運用ルールを意識しないといけないことと、「マナー」や「ひとりひとりの意識」が必要になることは、まったく同質の問題なわけです。

「マナーを守りましょう!」
「みなさんひとりひとりの意識の問題です!」
じゃない、みなさんひとりひとりの意識で解決をするな。意識しなくても問題が起こらないシステムをつくれ。

運用でカバーすることが絶対悪ではないのと同じく、「マナー」や「意識」によって目の前の問題へ一時的に対処することも絶対悪ではない。やむを得ない事情はあるものです。そう簡単に直せないものだから、運用でカバーしているわけで。

だから、それらを守らなくていいって言いたいわけではないんです。そうしないと回らないからしかたない。

だけど、本質的な問題の解決のためには、延々と啓蒙活動を行うよりも、そのシステムの欠陥を改修したほうが話が早い。「マナー」や「意識」といった運用ルールを守りながらの作業が恒常化し、目的化し、絶対正義となってしまうのは明らかにおかしな状況なわけです。

たとえば。

電車で足を大きく開いて座る人がいると迷惑なのは、そういう人がいると座れない人が出てくる程度に電車が混んでいるからです。それでも誰もが座れる程度に電車が空いていれば、誰も困りません。本質的な問題の解決のためには電車を空かせるべきです。

他に「自然と小さく座ってしまうイスを開発する」といった手法も考えられますが、この電車の混雑が常態化していることによる問題は数多いです。ベビーカー論争, 席を譲る譲らない問題, 痴漢被害と痴漢冤罪被害、数多のコストを使用者側に強いています。

イヤフォンから音が漏れるのは、そのイヤフォンの遮音性能が使用者の音量に耐えられないからです。

飲酒運転による事故が起こるのは、車が飲酒して操縦すると事故が起こる仕様の道具だからです。

エスカレーターの正しい乗り方をさせたいなら、自然とそういう乗り方をしてしまうような形状・デザインにすればいい。

チケットの高額転売をやめさせたいなら、自然と転売する気持ちがなくなるようなシステムを構築すればいい。

説明書を読まずになんとなくで使っても正しい使い方ができるのがよい製品です。

人間が便利に過ごすためにつくられたシステムに不満があるのなら、それがどんなに些細なことでも不満だと言っていい。だって不満なく過ごすためにシステムがあるはずなのだから。

そしてその不満と不便さを減らすべく、少しずつでもシステムを変えていって、文明は前に進んでいくのです。

「マナー」や「意識」が必要になるのは、そのシステムに欠陥があるためです。やむを得ず必要になるものです。システムの持つ穴は放置して、ルールだけが偉そうに正義として振りかざされるのは、明らかにおかしなものです。

ところで、人間が快適に過ごすためにつくられたはずのシステムなのに、そのシステムに適応し従うことこそが絶対正義の必須要項であるとの風潮が蔓延し、なぜかむしろ人間を苦しめている。そんなシステムがあることにお気づきでしょうか。

なにが社会に適応だ、人間のために社会があるんだから社会が人間に適応しろ。

社会がわるい。

2017/01/11

2017's Slogan: 種を蒔く

2016年のスローガンは「蝶のように舞い、蜂のように刺す」で、総括は漢字2字で「道標」。
くるくると回っているうちに、自分がどこに向かっていきたいのかが固まり、道が見えてきた。

2017年のスローガンは「種を蒔く」。

チャンスから繋げていくための種だったり、チャンスに繋げていくための種だったりを。
チャンスって単語に手垢がついていてなんかイヤだが、まぁ他の言い方も思いつかん。

Y-dashとして仕事をして生きていく話だとか、隠居団の話だとかは、完全な100%の本気です。
自分に合っていないところに適応する気はさらさらないので、自分に合う場所をつくっていこうという話です。

あんまりのんびりともやってらんないなと思います。
Y-dashとして生き始めないことにはなにも始まらないですし、いつまでも繋ぎの生活をしているのはイヤですし。

というわけで、もしもなにかおもしろい話がある方はぜひお声がけください。

エンジニアです。フロントエンドが主です。
技術的なことはわからんって方向けに言うと、Webサイトをつくることが主戦場です。

隠居を完成させるために生き急ぐのもおかしな話ですが、人生の中で隠居した状態で穏やかに過ごす時間を少しでも長くしたい。

それまでジタバタしていきたい。
隠居するためにジタバタする。やっぱりおかしな話ではありますけど。

2017年は隠居に向けて、少しずつでも動かしていきたい。